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衝撃のテレクラ事件の後、2週間後くらいに、実家に顔を出した。家に行く前は、 「なんか気まずいなぁ」 などと思っていたが。実際に母に会ってみると、別になんともなかった。普段と変わらず、穏やかで優しい、もう還暦近い母だった。改めて思った。あのテレクラ事件は、夢か幻だったのではないか。今ここにいる、 「穏やかで優しい母、ゆう子。」 そして、あのテレクラで会話をした、 「とびきりエッチな人妻熟女の、ゆう子さん。」 本当に同一人物なのだろうか、、、。顔、姿を見てないだけに絶対とは言い切れないが、、、。しかし、本人の名前に年齢、声、息子である自分の名前、幼友達の名前、なにより、自分の声を聞いて息子と同じだとまで言った。やはり、あの日テレクラで話をした相手は、母で間違いないと思う。それにしても、あの電話で話をした母は、エッチな女性だった。電話で話をしてる時は、心底やりたいと思った。ギンギンに勃起して、興奮しまくった。自分が、もう少し若ければ、、。10代、20代前半とかだったら、、。あんな電話をした後だったら、 「母さん、やらせろ!」 などと、挑みかかっていたかもしれない。犯していたかもしれない。しかし、自分で言うのも変だが、自分はもう30を過ぎた大人だった。30年以上、築いてきた母との歴史がある。自分にとっては、申し分のない母である。自分には、とにかく優しい。3つ上の姉がいるのだが、 「お母さんは、アンタには、異常に甘い」 と、よく言われるくらいだ。そんな母との関係を今さら、崩したくはなかった。電話が切れる直前に、母は 「お母様を、泣かせる様な事はしちゃダメよ。」 と言った。自分は、 「うん。わかってるよ。」 と答えた。やはり自分は、母にとっては、たった1人の息子なのだ。唯一無二の存在なのだ。本音を言えば、シテみたい、、、。母の愛撫も受けてみたい、、、。だが、やはり一線を越えるというのは、自分には無理だった。出来ない事だった。 テレクラ事件の翌年、自分は長年勤めていた地元の会社を辞めた。故郷を離れて、今は東京で働いている。実家に帰るのは、お盆と正月の年2回くらいだ。40を過ぎたが、相変わらず独身だ。付き合った女性も何人かいたが、(もちろん年上)結婚したいとまでは、思わなかった。あまり、結婚には向いてないだろうなと思う。打つ、飲む、買う、が好きだし(笑)。独身一人暮らしが長いと、炊事、洗濯も苦にならない(笑)。実家にいる母は、70歳目前だ。かつてフェミニンな服装で、自分や幼友達のトモ兄を興奮させた母も、さすがに最近は地味な服装になったなぁと感じる。こればかりは、仕方ないと思う。干してある洗濯物を見ても、おばさん下着が目立ってきた。これも、仕方ないだろう(笑)。そんな母が、昔と変わらない事が2つほどある。1つは声だ。たまに、電話をかけてくるが、昔から変わらない艶っぽい声をしている。あの、ウフフッという独特の笑い方も健在だ。もう1つは、この投稿文の中でも何度も登場して、読んでいた方は、 「またかよ!」 と思っていたかもしれないが、、。母は、今でもスリップを着ている。これだけは、相当なこだわりが、あるのだろう。他の、おばさん下着とは違って、光沢のあるレースの綺麗な物が、よく実家に行くと干されている。見ると、なんだか懐かしい気持ちになる(笑)。 とりとめのない話になってきたので、ぼちぼち終わりにしようと思う。自分は、母とは仲がいい。夏に実家に帰った時なんかは、よく車に乗せてドライブに連れ出したりしている。2年くらい前だったと思う。母への思いを一度だけ口にした事がある。地元では有名な城跡の公園を、母と散歩していた時だった。母が、ふと 「ヒロシは、結婚とかは考えてないの?いい人いないの?」 と聞いてきた。母は滅多に、そういう事は言わないのだが。それに対して、自分でも驚くほど簡単に言ってしまった。 「なかなか、いいと思える人がいないよ。いるんだろうけど、比べてしまうとどうしてもね、、。俺の理想は、母さんみたいな人だから。子供の頃から、ずっとね。母さんが好きだった。ちょっと理想が高すぎるのかな、、。」 母は、一瞬だけ驚いた表情をしたが、すぐにニコッと笑って言った。 「あらあ〜、嬉しい事、言ってくれるわね。ありがとうね。でも、大丈夫よ。そのうち、いい人が現れるわよ。ウフフッ」 心底、楽しそうに笑っていた。可愛らしい笑顔だった。 完
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